露日インタビュー番組“ロシアナの部屋” 第8回ゲスト:国際関係アナリスト 北野幸伯さん インタビュー番組“ロシアナの部屋”では、ロシアナこと、いちのへ友里アナウンサーが聞き手となり、ロシアのさまざまな分野で活躍するゲストの方にお話を伺います。
今回のゲストは、カリスマ的な人気を誇るメールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」が創刊10周年を迎えた国際関係アナリストの北野幸伯さんです。
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いちのへ:ようこそいらっしゃいました!
北野さん(以下敬称略):どうも、こんにちは!
いちのへ:2009年4月25日、メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」10周年、本当におめでとうございます!
北野:どうも有難うございます。こちらこそ大変光栄です。
いちのへ:このメルマガというのは、インターネットで読者登録するだけで、執筆者から直接メールの形で、しかも無料で情報が配信されるというのものなんですが、この「メールマガジン(通称メルマガ)」という手段を使って、ここモスクワから10年間、世界情勢に関する情報を配信しつづけていらっしゃるのが北野幸伯さんです。そのメルマガは、「世界一わかりやすい!」「予測が当たる!」などなどカリスマ的な人気を誇り、現在なんと読者数は約1万9千500人!ロシア関係のメルマガでは配信数NO.1を独走中です。
「ロシアの声」リスナーの皆様のなかにも、「読者としていつも文章は拝見しているけれど、生の声を聞くのは初めて!」という方、多いのではないでしょうか?
今晩はメルマガ10周年記念!として、いろいろとお伺いしていきたいと思っています!
【19歳でソ連へ!?】
いちのへ:さっそくですが北野さん、まさかご出身はロシアじゃないですよね?
北野:いえ、違います。長野県松本市です。
いちのへ:ロシアへいらっしゃったのはいつなんですか?
北野:1990年、当時私は19歳でした。
いちのへ: 19歳でソ連!?きっかけは何だったんでしょうか?
北野:私たちの世代というのは、生まれたときからずっと、アメリカとソ連の冷戦による2極世界に慣れていたんですよね。それが1985年、ソ連にゴルバチョフ書記長が現れると、徐々に雰囲気が変わり良い方向に向かっていったんですよね。そして1989年にベルリンの壁が崩壊したんですが、これは当時18歳だった私にとってかなり衝撃的な出来事でした。「いったいこの変化の中心はどこにあるんだろう?」と思った時に、「アメリカやイギリスじゃないな、ソ連にゴルバチョフ氏が出現してから世界が変わり始めたんだ」と思ったわけです。ベルリンの壁というのは東欧なので、勿論その背後にはソ連がいたわけです。そこで私は「もし留学するのなら、アメリカやイギリスでなく、変化の渦が起こっているソ連、その首都モスクワに行ってみたい」と思ったんです。
いちのへ:1990年に19歳でソ連に飛び込み、翌年1991年には20歳でソ連崩壊を経験されたんですね?
北野:ええ、ソ連崩壊のその日のことはよく覚えています。1991年12月25日だったと思います。モスクワ国際関係大学の寮にいたんですが、向こうから日本人の女子学生が走ってきて、「ちょっと北野君、こっちに来て!!」と慌てていたんです。私は「何をそんな慌てているんだろうか」と思いつつ行ってみると、TVで当時のゴルバチョフ大統領が「ソ連は崩壊します。私は大統領を辞任します。明日からソ連はありません。」というような演説をしていたんです。なんとその演説だけで、次の日からソ連という国家がなくなってしまったんです・・・!
しかし皆淡々と過ごしていました。暴動なども起こらず、授業もテストもあって(笑)。「国っていうのは、こんなに簡単に消滅してしまうものなのか!」と思いましたね。
いちのへ:では、ロシア誕生の瞬間というのはどうだったんでしょうか?
北野:エリツィン初代ロシア大統領が、TVでいろいろお話されていましたが、ほとんど何も感じませんでしたね。
いちのへ:“台風の目”じゃないですが、その中心は逆に静かなものなのでしょうか。
北野:そうですね、全く普段と変わらない生活がありました。
【詩人の家庭でホームステイ】
いちのへ:当時はどんな生活をされていたんですか?
北野:モスクワへ来た当初は大学寮に住んでいました。けれどもソ連崩壊後、その日は何もありませんでしたが、徐々に変化が見え始めました。ルーブルが大暴落し、ハイパーインフレが起こり、毎日毎日値段が上がり・・・。ところが寮にいてはその変化が見えない。「いったいどうしたら、この変化を、ロシア人の実際の生活を見ることを出来るだろうか」と考え、92年からはホームステイを始めました。
いちのへ:どんなご家庭にホームステイされていたんですか?
北野:ウラジーミル・レオノーヴィチ(写真中央)という詩人の家でした。ロシアではわりと有名です(笑)。プーシキンに憧れ、自分で“Живой классик(生きた古典)”だと話していましたが、周りからも確かに尊敬されていました。
いちのへ:奥様もとてもお綺麗なかたですね。
北野:この女性は、実はウラジーミル・レオノーヴィチが学校の先生をしていたときの生徒だったそうです。当時14歳だった彼女はゴンチャロワという苗字でした。・・・ここでピンと来た方いらっしゃいますか?そう、詩人プーシキンの奥様もナタリヤ・ニコラーエヴナ・ゴンチャロワというんです。プーシキンを敬愛するおじさん(ウラジーミル・レオノーヴィチ)は、すぐに「ああ、この娘はオレの嫁になるべくして出逢った女性だ」と熱烈にアプローチ。あっという間にお嫁さんにしてしまったそうです。・・・生徒だったのに(苦笑)。
いちのへ:そうして、素敵な愛の詩をたくさん作ったわけなんですね(笑)?
北野:まあ・・・そんなところでしょうか(笑)。
いちのへ:ホームステイされていた当時、モスクワ放送(現在のロシアの声)を聴いてくださっていたそうなですが・・・。
北野:ええ。もう毎日のように聴いていました。
いちのへ:当時はどんな番組を聴いていらっしゃったんですか?
北野:主にニュースですね。日本語でニュースを語ってくれることに対する喜びがあり、熱心に聴いていました。
【ロシア語ゼロから超エリート大学卒業まで】
いちのへ:大学は、ロシアで“卒業生の半分が外交官に、半分がKGBに”と言われていたロシア外務省付属モスクワ国際関係大学(MGIMO)を卒業されたそうですね?
北野:そうです。
いちのへ:今は日本人外交官なども研修していることで知られていますが、北野さんは日本人初の卒業生だったそうですね?
北野:そうです。
いちのへ:ソ連でも選りすぐりのエリートが集まるこの大学、入学は大変だったのではないでしょうか?
北野:これはもう、本当に大変でした。ソ連に来てからの1年目は、大学へ入学するための予科に入り、まず半年間はロシア語をみっちり勉強して、その後半年間で大学入試のための勉強をしました。とにかく何も準備せず、野次馬根性だけで来てしまったので、毎日夜中2時3時まで勉強するのが当たり前になっていました。ソ連崩壊前1990年だったので、予科で学ぶ学生たちは、社会主義国から来た学生ばかりだったんです。東欧、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア・・・皆、当然ロシア語を勉強してから来るわけです。まあ、ソ連に留学するんですから当然ですよね(笑)。だから自分だけロシア語が喋れない。でも、日本人として馬鹿にされるのは嫌だなという思いもあって、仕方なく必至に勉強しました。二度と御免ですね。
いちのへ:当時はまだ自由に電話もかけられない時代でしたよね。辛い時は、お友達が支えになったんでしょうか?
北野:そうですね。ポーランド人のマチェク君、ユーゴスラヴィア人のエレーナさん。カンボジア人のラタノック君。アフガニスタン人のワシー君・・・ロシア人の友人も勿論いましたが、苦楽をともにした留学生同士の絆を深かったですね。当時は娯楽も少なかったうえに経済危機でしたから、みんなで集まって酒を飲みながら語り合ったりしたのはいい想い出です。
いちのへ:大学の授業はいかがでしたか?
北野:国際関係学部で学んだのですが、人類歴史や宗教、哲学など幅広く勉強させられました。学部の中にも西洋学科と東洋学科が あり、私は西洋学科で学んだのですが、日本では「アメリカは自由民主主義のいい国だよね」と勉強してきたけれど、当時のソ連では「悪の元凶である」というような全く正反対の価値観で書かれていることにやはり違和感は感じましたね。
いちのへ:ロシアの大学は5年制が多いですが、卒論もあるんですか?
北野:ありますよ。今日は特別にお見せしようと思い持ってきました。
いちのへ:え!本当に!?
北野(卒論を実際に見せながら)まだコンピューターもない時代でしたので・・・
いちのへ:でも、綺麗に製本されてますね。
北野:これは大学に製本バイトの人がいて印刷してくれるんです。手で書いてあるんですよ。なかを見てみますと、『アメリカの90年代の対日政策』というタイトルになっていますね。
いちのへ:なぜ、これを論文のテーマに選ばれたんですか?
北野:今もそうですが、やはりアメリカは世界の中心なので、「アメリカはこれからどうなっていくのだろうか」という問題には常に興味があります。
いちのへ:卒業式はどんな想いでしたか?
北野:もともと勉強が嫌いなので、なんでこんなに勉強させられたんだろうと思う部分もありましたが(苦笑)、でも自分で決めたことでしたし、親にも「絶対にやり遂げる!」と約束して来たので、なかなか逃げるわけにもいきませんでした。それでも正直何回か「辞めたい」と思ったこともありました。ですから卒業式の日は「ようやくこの日が来たか」という感じでした。
いちのへ:嬉しかったでしょうね?
北野:ええ。嬉しかったですね。
【カルムィキヤ共和国の大統領顧問に!?】
いちのへ:大学卒業後もロシアに残りたいと思いましたか?
北野:ええ。
いちのへ:では卒業後はどうなさったんですか?
北野:ロシアのカルムィキヤ自治共和国で、大統領顧問(アドバイザー)にしてもらいました。
いちのへ:え、大統領顧問ですか!?いったいどうやって就任されたんですか?
北野:大学卒業の1996年に大統領の面接を受けたんですが、「君はどんなことがしたいんだ?」と尋ねられて、3つプレゼンしました。
1つ目は、日本から最新の農業技術を持ってきて、カルムイク共和国を農業大国にすること。どういうことかと言うと、砂漠化が大変深刻な問題となっているカルムィキヤ自治共和国の土地を有効利用するため、日本の農業技術を導入し、普及しようという提案です。
2つ目は、観光資源としてチベット仏教を発展させ、日本の仏教界と結びつけることで仏教を大復興させること。カルムィキヤ自治共和国は、ヨーロッパでは珍しくチベット仏教の国なんです。まわりはほぼロシア正教とイスラム教なのですが、ここだけチベット仏教国なんです。チベット仏教は非常にお寺も美しいですし、外国人にとってエキゾチックな魅力がありますから、観光資源として、チベット仏教を発展させたらよいのではと思い提案しました。ロシア人のヒッピーなんかも、ここへ修行に来るんじゃないかなって(笑)。ただ、基本的にカルムィキヤ共和国の仏教は、ソ連時代にたくさん破壊されてしまったので、それならば日本の仏教界を結びつけることで大復興させられたらと思いました。
3つ目は、日本企業を山のように呼び込んで投資させること。これはまあ、月並みですが(苦笑)。このような3つのプレゼンをしたところ、大統領が感動して「ぜひともやってください」と。
いちのへ:即決だったんですね!
北野:ええ、その場で決まりました。
いちのへ:すごい!カルムィキヤ自治共和国の大統領は、当時から現在まで変わらず、イリュムジーノフ氏が務めておられますが、どのような人物でしたか?
北野:簡単に経歴をご紹介しますと、1962年にカルムィキヤ共和国の首都エリスタに生れ、私と同じモスクワ国際関係大学に進学し1989年に卒業。その後、ソ連崩壊のどさくさにまぎれ巨万の富を得て(笑)、当時「ロシアで5本の指に入る」と言われたお金持ちになります。それで、その資金力を持って1993年に、若干31歳の若さで大統領になってしまった、というすごい方です。実は、日本語も少し話されます。
いちのへ:え!?日本語をお話になるんですか?
北野:ええ、大学で日本語を勉強したそうです。ですから日本にも大変興味があるようでした。
いちのへ:ほかにも、イリュムジーノフ大統領と言えば、FIDE(国際チェス連盟)会長を務めていらっしゃることでも有名ですね?
北野:大統領は幼少時からチェスが好きだったようです。大統領顧問時代で一番思い出に残っているのは、1998年9月にカルムィキヤ自治共和国の首都エリスタで開催されたチェス五輪です。モスクワでなく、エリスタですよ…腕力で呼び込んだと言っていいですね(笑)。あんなに小さな国に、世界118カ国から、有名チェスプレーヤーたちが集結してきました。私も勿論その場にいましたが、「やっぱりこの大統領は偉大だな」と感動しましたね(笑)。
いちのへ:ロシアでもまだ英語が通じない場所が多いですが・・・
北野:もちろん空港すら英語が通じない状況でしたから、イリュムジーノフ大統領はカルムィキヤ共和国全土から英語堪能な人を召集して全員働かせていました。
いちのへ:北野さんはご一緒にチェスをされたりは?
北野:いえいえ。私は将棋です(笑)
【メルマガ配信スタート!】
いちのへ:さて、大統領顧問を経て、ついに1999年4月25日、メルマガ第一号を配信されますよね。今でこそブログなどで沢山の人が自由に情報を発信していますが、当時はまだかなり新しい試みだったのではないでしょうか?
北野:そうですね。おそらく日本在住の日本人は、ここ数年でブログやメルマガの存在を知ったという方が多いのではないかと思いますが、一方モスクワ在住の日本人は、メルマガというものが生まれた当初から、注目していたんです。
いちのへ:そうなんですか?
北野:というのも、当時は日本語の情報に飢えていて、もう日本語の情報なら何でも知りたいという状態だったんです。そんなときにインターネットが登場し、「日本の新聞も読める、日本のメルマガも読める、しかも無料で!」ということで、モスクワ在住日本人の間ではメルマガが大流行し、私も片端から登録しては読んでいました。そんなふうにして読んでいるうちに、「なんだか俺にも出来そうだぞ・・・」と思いはじめました。そこで、当時モスクワ大学で勉強していたコンピューターに強い友人I君(仮名)に電話で相談してみたら、「技術的には問題ないよ」ということだったので、「じゃ、始めようかな」と。
いちのへ:手応えはいかがでしたか?
北野:ロシア関係のメルマガは初めてだったので、告知してから第1号配信までに登録数が増え、約400部配信しました。その後どんどん登録者が増えていきましたが、3000人くらいで一度伸び悩みがあり、「これはロシア関係者というのは3000人くらいなんじゃないかな」と思っていました。その時にちょうど、911事件が発生したりアフガン戦争が始まったりしたので、ロシアだけでなく世界情勢についても書き始めたら、またどんどん伸びていきました。
いちのへ:現在の読者は1万9千500人ということで、実に10年間で約49倍の増加ですよね。確かに、ロシア関係の方にお会いすると「あ、あなたも北野さんのブログを読んでいらっしゃるんですか?」ということ、よくあります(笑)
さて、ここまではメルマガ創刊までのお話を中心にお伺いしてきましたが、インタビュー後半ではそのメルマガについて、さらに詳しくお伺いしていくことにしましょう!
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